<あの球児は今>
日刊スポーツは全国のアマチュア野球担当経験記者が、懐かしい球児たちの現在の姿や当時を振り返る「あの球児は今」を随時連載します。第1回は2010年(平22)に興南で沖縄代表初の甲子園春夏連覇を果たしたトルネード左腕で、元ソフトバンクの島袋洋奨さん(27)です。
島袋さんが母校に戻ってきた。指導者を目指し、4月から興南の事務職員となった。広報室に配属され約半月が過ぎた。「昔からいた先生もいらっしゃる。興南に入学したいという人たちに、この学校のよさを伝えていくのが仕事です」。新型コロナウイルスのため休校が続く中、マスク姿で再開へ向けた準備を行う。
昨年限りでソフトバンクでの5年間のプロ生活を終え、東京で会社員として再スタートを切った。だが、指導者への熱い思いは抑えられず、理事長で校長でもある我喜屋優監督(69)に思いを伝えた。ただ、12月に予定される学生野球資格回復研修を受けなければ、野球部員を指導することはできない。それまでの時間は、通信教育で社会科の教員免許取得を目指す。「勉強は得意ではないんですが…。教師になれば野球部以外の生徒とも触れ合える部分が増えてくる。我喜屋監督から人生のことなどをたくさん教わったので、伝えていければ」。近い将来、教員として第2の人生を歩む計画だ。
10年前の10年8月21日、“琉球トルネード”と評された島袋さんは、夏の甲子園決勝で東海大相模(神奈川)に1失点完投勝利。最後の打者から三振を奪い、捕手と抱き合った瞬間の指笛と大歓声、チームカラーのオレンジに染まったスタンドの光景は今も忘れられないという。「一生味わえない瞬間、歓声だった。沖縄の人に支えられているんだなと思いました」。高校野球史上初めて、深紅の優勝旗が沖縄に渡った瞬間だった。
指導者となって、再び甲子園を目指す。プロでは1年目の2試合しか1軍マウンドに立てなかった。「悔しい思いばかりだったけど、離れてみて、すごいところでやっていたんだなと。大学(中大)3年の秋から投げ方がおかしくなって、そこからは自分との闘いになった。プロでも気持ちを切り替えられなかった。プロで感じたことを伝えていきたい」。最後までもがき苦しんだ経験を生かす。
沖縄の先輩、ソフトバンク東浜や嘉弥真にも指導者を目指すことを伝えた。東浜からは「道が決まったら、そこで頑張ればいい」と励まされたという。我喜屋監督も「人間的に謙虚なので周りの評判もいい。ここに骨をうずめなくてもいい」と、興南以外で大きく羽ばたくことも期待する。1月に長女も生まれ、パパとなった。喜びも苦しみも経験し、故郷に帰ってきた島袋さんの第2章は始まったばかりだ。【石橋隆雄】
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2020-04-15 00:20:57Z
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