勝利や表彰台という記録は残していないが、“デザインとカラーリングの勝者”であるジョーダン 191は、7回のF1ワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハのF1デビューマシンとしても記憶されている。
1991年にアイルランド出身のエディ・ジョーダンが創設したジョーダン・グランプリの第1号マシンは、発表時にはジョーダン 911とネーミングされていたが、「911」を看板車種に有しているポルシェからクレームが入ったことから、プレシーズンテストからジョーダン 191と改称された。
ジョーダン 191は、元レイナードのゲイリー・アンダーソンを中心に開発。空力は当時のトレンドが多数取り入れられた。フロントウイングは、ティレルがF1に持ち込んだハイノーズとアンヘドラルウイングをモディファイしたトーショナルウイングを採用。丸く細長いペンシルノーズやホームベース側のコックピット開口部、2つの大型トンネルを備えたディフュザーはエイドリアン・ニューウェイが設計したレイトンハウスのマシンに見られたものだった。だが、独自のデザインも見られ、リアエンドに向けて下部をえぐったサイドポンツーンは他チームにも模倣されることになった。
そして、何よりも目を引いたのがそのカラーリングだった。緑色をブランドカラーとするペプシコーラ社ブランドの「7up」がタイトルスポンサーについて『7up ジョーダン』として参戦した初年度は、アイルランドのレーシングカラーでもある鮮やかなグリーンとブルーに塗装されたされた。同じく緑色をブランドカラーとする富士フイルムをスポンサーとして獲得するなど、統一感のあるカラーリングだった。
第10戦ハンガリーGPではベルトラン・ガショーがチーム及び自身初のファステストラップをマーク。だが、F1ハンガリーGP後にガショーが傷害事件で投獄されるという不祥事が発生し、チームは代役としてメルセデス・ベンツの秘蔵っ子であるミハエル・シューマッハを起用する。シューマッハはデビュー戦のF2ベルギーGPで当時チーム最高の予選7位を記録して注目を集め、この1戦のみでベネトンに引き抜かれた。
ジョーダン 191は、最終的に13ポイントを獲得し、デビューシーズンにコンストラクターズランキング5位という素晴らしい成績を収めた。
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2020-04-25 06:12:02Z
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