レイトンハウスを解雇されたエイドリアン・ニューウェイを招聘したウィリアムズは、1991年にニューウェイとパトリック・ヘッドの共同体制での第1作目となる『FW14』を生み出す。ノーズ先端が持ち上げられ、コクピット開口部はドライバーの肩が露出するニューウェイ独特の5角形デザインとなった。
そして、FW14をベースにアクティブサスペンションを搭載し、1992年に向けて改良がを加えられたマシンが『FW14B』だ。ウィリアムズは1988年のFW12でもアクティブサスペンションに取り組んでいたが、当時はまだシステムを確立できなかった。だが、その後も開発を重ね、信頼性を高められたことから1992年に実戦投入に踏み切った。
FW14Bのシステムはロータス・99Tのようなフルアクティブではなく、ガスシリンダー(パッシブ)と油圧式アクチュエータ(アクティブ)を組み合わせたセミアクティブ方式。路面のバンプを通過する際、大きな揺れにはパッシブサス、小さな揺れはアクティブサスで制御した。ソフトなサスペンション特性を持ちながらも、シャシー姿勢や車高を最適に維持するという相反する要素を兼ね備えることで、FW14がいかなる状況でも本来兼ね備えていた空力性能を発揮できるようになり、並外れたコーナリング性能を実現。また、ストレートではフロントの車高を上げ、ウィングをドラッグを減らし、トップスピードを高めることもできた。
当時はGPSが存在しなかったため、各サーキットで走行ライン上の路面状態や縁石を全て事前に調査したうえでサスペンションの動作プログラムを作成する手法が採られていた。チームは機密保持に神経を遣っており、ピットでの整備時にはガードマンを配置したり、アクティブ装置の上にカバーを被せるなどして、写真撮影されることを避けていた。
セミオートマティック・ギアボックス、アクティブサスペンション、トラクションコントロールというハイテク装備で武装したFW14Bは、開幕戦から3戦連続ワンツーフィニッシュを果たし、ライバルチームに衝撃を与えた。第2戦メキシコGPが開催されたエルマノス・ロドリゲス・サーキットは路面がバンピーなことで知られたが、FW14Bはアクティブサス効果で姿勢を乱すことなく駆け抜けた。マクラーレンは第3戦ブラジルGPにて新車MP4/7Aを緊急投入したが、ウィリアムズの優位は崩れることなく、マンセルは開幕から5連勝という当時の新記録を達成した。
第6戦モナコGPはホイールトラブルでアイルトン・セナに勝利を献上し、第7戦カナダGPでは初のダブルリタイアを喫したが、第8戦フランスGPからナイジェル・マンセルが再び3連勝し、第11戦ハンガリーGPでは年間16戦で行われていた当時の最短記録で悲願のドライバーズチャンピオンを獲得した。マンセルによって、1980年のデビューから12年経過しており、当時のマリオ・アンドレッティの10年を破り「デビューから最も遅いチャンピオン」であった。
その後はルノー製RS4エンジンのトラブルなどによりナイジェル・マンセルとリカルド・パトレーゼが1勝ずつをあげるにとどまったが、ウィリアムズは16戦10勝という成績で1987年以来のコンストラクターズタイトルを獲得した。ポールポジションは第7戦以外はウィリアムズコンビが獲得し、翌1993年にかけて23戦連続ポールポジションというコンストラクター記録を樹立することになる。マンセルは個人としても年間14ポールポジションという記録を残した。
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2020-05-01 03:48:04Z
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