1987年11月26日、ヤクルト・長嶋一茂(中央)の入団会見。ドラフト1位で指名したのが関根監督(左)だった。右は相馬球団社長【拡大】
関根潤三さんの訃報が9日に伝わり、球界から悼む声が上がった。関根さんがヤクルト監督だった1987年11月のドラフト会議で1位指名された長嶋一茂氏(54)は、父・茂雄氏(84)とも交流の深かった故人との思い出を語った。
関根さんに初めて会ったのは小学2年のとき。オヤジが現役を引退する1、2年前から、ナイターの後で家に来て、スイングを見ていた。関根さんは巨人の(ヘッド)コーチになる前だから、何もしていない(ユニホームを着ていない)時期。そんな2人の姿を横から眺めていた記憶がある。
中学生のときは、一緒にメジャーリーグ観戦ツアーに参加した。アナハイムでは、あのノーラン・ライアン(大リーグの通算奪三振記録保持者)や、ヤンキースから移籍したレジー・ジャクソンがいるエンゼルスの試合を見て、シアトルや(ロサンゼルスの)ドジャースタジアムも回った。
1987年のドラフト会議で1位指名されたヤクルトの監督は関根さん。くじを引いたのは相馬さん(当時ヤクルトの相馬和夫球団社長)だったけど、監督の意向がなければ1位で指名されるわけがない。(立教)大学時代のプレーも見に来てくれていた。
そういう意味では、すごく期待してもらったのに、苦労も迷惑もお掛けしてしまった。右も左も分からないプロの世界で、いろいろと気にかけていただいたのに、結果的には扱いにくい選手だったろうと思う。今でも申し訳ない気持ちだ。
関根監督と同じヤクルトのユニホームを着たのは、22、23歳という青春真っ盛りの2年間だった。若かったから情熱もエネルギーもあったし、夢や希望をかなえたいという思いも強かった。
その時期に監督と選手という関係だったから、思い出は尽きない。ただ、ヤクルト時代のことを語ってしまうと、亡くなったことを認めてしまう気がする。今は、そんな心境だから、野球のことは話したくない。きょうは勘弁してください。(談、1988-92年にヤクルト、93-96年に巨人でプレー)
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2020-04-09 20:02:49Z
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