世界大会に行くと、いかに内村航平が敬意を集めているかがよく分かった。練習会場では海外の選手やコーチが内村と写真を撮りたがり、2016年リオデジャネイロ五輪の際は、陸上男子の〝世界最速〟ウサイン・ボルト、競泳男子の〝怪物〟マイケル・フェルプスと比較する声もあった。
個人総合五輪2連覇をはじめ、世界大会で獲得したメダルは計28個。その輝かしいキャリアに、33歳が終止符を打った。
内村は「体操は頭(イメージ)でやるもの」を信条とし、朝食を採らず「飢えてさえた」状態で練習していた。練習中はチョコレートなどで栄養補給していたそうだが、近年はそれがナッツ類に変わっていたという。「年齢的なものだと思う。嗜好が変わってきたというか。甘い物をあまり食べたいと思わなくなって」。こんなところからも本人は自身の変化を感じていた。
まだ新型コロナウイルスが流行していなかった頃のことだ。別の選手の取材で味の素ナショナルトレーニングセンターに行くと、そこを練習拠点にしている内村とすれ違うことが何度かあった。軽く声をかけると、実にそっけなく、非常に張りつめた空気だったことが思い出される。
5年ほど前から故障が増え、肩に打った注射は100本を超えたという。二人三脚で演技を作り上げてきた佐藤寛朗コーチは「基本、ピリピリしてましたよね。そういう日が19年は多かったと思います。良い意味で(自分が)受けて、どんどん発散してもらいながらやってきました」と振り返る。
内村は、思うような練習ができにくくなった体と向き合い、気力を振り絞り、昨夏の東京五輪の代表をつかむ。しかし、予選の鉄棒で落下。口をついた言葉は「僕が見せられる夢はここまでかな。もう前みたいに、練習したことをそのまま出せる能力が自分にない」だった。
2カ月半後、生まれ故郷の北九州市で開催された世界選手権。鉄棒の種目別決勝で完璧な着地を決め、「やりきったというのが正直な気持ち。あの着地ですべて伝えられたのかな。もう出せない」と言った。
世界最高峰の「強さ」と「美しさ」の同居こそ内村が〝キング〟と呼ばれるゆえんだったとするならば、その火が消えかかっていたことは本人が一番良く分かっていた。
「体操への愛情」を、これからどんな形で示していくのか。複数の関係者によると、年が明けてからも内村は練習を続けているという。内村にとって体操は「『最高』以外ない。自分が自分であることを唯一、証明できること」であり続けた。それは、これからも変わらないのではないかと感じている。(宝田将志)
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2022-01-11 06:58:21Z
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