【ドーハ(カタール)29日=後藤亮太】U―23サッカー日本代表が、8大会連続五輪出場に向けて準決勝でイラクと対戦し、2―0で勝利してパリ五輪の出場権を獲得した。チーム2点目を決めたFW荒木遼太郎=FC東京=は「自分を犠牲にしても、足がつってでも走って、日本のために戦いたいと思っていました」と大一番を振り返った。
1点リードの前半42分、左サイドで粘ったDF大畑歩夢から中央のMF藤田譲瑠チマへ。そのパスを見て相手DFより一瞬早くゴール前へ動き出した荒木は、藤田からのワンタッチでのラストパスを受け、ネットを揺らした。「チマからもらった時に、ファーストタッチだけは自分の打ちたいところに置こうと思って。そこだけこだわって、あとはGKを見ながら流し込むだけでした」。正確なトラップに集中して時間をつくり、余裕を持ってネットを揺らした。前半10分にもFW細谷に決定的なスルーパスを通すなど、攻撃の中心として躍動。後半にはカウンター時に逆サイドの動きを見逃さない広い視野で効果的なプレーを見せ、抜群の攻撃センスで勝利に貢献した。
20年に東福岡高から鹿島に加入。21年にはJ1で10ゴールを奪い、ベストヤングプレーヤー賞を獲得した。一気に海外移籍やA代表定着も期待された中で、その後は負傷などもあって伸び悩んだ。22、23年はJ1でわずか1ゴール。大岩ジャパンからも遠ざかり「自分のプレーに対して悩んだりもした」という停滞期だった。
フィジカル重視の傾向にある現代サッカー。荒木のように小柄で技術を武器とし、スピードや激しい上下動が求められるサイドでのプレーを得意としないトップ下タイプは“絶滅危惧種”とも言われる。それでも「周りの先輩たちから、自分のプレーはやめるな、自分にしかないものだからやめるな、と言われていました。(当時鹿島、現神戸のDF広瀬)陸斗くんや(鹿島FW鈴木)優磨くんからよく言われていました」。周囲は荒木の持つ特別な才能を認めていた。今季環境を変えることを決断し、FC東京へ。6試合で5ゴールと結果を出して今大会のメンバーに滑り込むと、準々決勝ではFW細谷の決勝点をアシストし、パリ五輪がかかったこの日はゴールと結果を残した。
「やっぱり試合は楽しいですし、国を背負って戦うことは、本当に限られた人しかできないこと。その中でプレーさせてもらって、どうせやるんだったら自分のプレーを出して日本に貢献したいと思っていました」。その言葉通り、あふれ出るセンスを発揮して勝利に貢献した荒木。ベストヤングプレーヤーに輝いたあと、一時は“消えかけた”男が、五輪のかかった大舞台で躍動した。
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2024-04-30 08:58:00Z
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