中日・福留孝介外野手が8日、バンテリンドーム内で引退会見に臨んだ。日米通算2450安打をマークした強打者は24年に及んだ現役生活を振り返り、周囲への感謝を口にした。以下は一問一答<3>。
―米国から戻って、13年から阪神でプレーした
「自分でもう一回、日本でやりたいという中でタイガースを選んでやらせてもらった。8年間、本当に日本の中でドラゴンズ以外の野球を知らなかった。違うチームの野球、環境だとかを経験させて頂いたのは本当に阪神タイガースの方々にもすごく感謝していますし、何度も言いますけど、これも僕自身がこうやってきた野球の中での良い勉強をたくさんさせて頂いたと思います」
―昨年から古巣に戻ってまた2年間
「やっぱりまだ自分があきらめきれなくて野球をやりたい中で、ドラゴンズが手を差し伸べて下さって、去年、今年と2年間ですけど、またドラゴンズのユニホームを着て野球をやらせていただいた。このユニホームで野球人生を終えることができた。そこは感謝の一言です」
―今季は開幕からヒットが出ずに、5月に初ヒットとなる二塁打。下を向きながら手をたたいていた
「やっぱりPLの先輩であります、立浪監督に開幕スタメンでも使って頂きましたし、代打でいくとなっても、ここ一番というところで使い続けて頂いた。その中で結果を出すことができなくて、腹が立っていましたし、申し訳ない中で打席に立っている中でやっと出た一本だった。自分の中で少しほっとした部分はありましたね」
―PLの先輩でもあり、幼少時に中日の串間キャンプでサインをもらった立浪監督への思いは
「やっぱり僕自身の最初から最後まで憧れの存在であったことは間違いないですし、その方の最後の力になれなかったというのもまた、これもまた僕自身の悔しさでもあります」
―立浪監督と直接、話は
「先日、ちょっとお話をさせて頂きました。逆に『力になれなくて申し訳なかった』と言われたんですけど、力になれなかったのは僕。そうやって言葉をかけて頂いたのはありがたかったですね」
―今、頭に浮かぶ24年間の印象的な一打は
「特にないです。ゆっくり振り返ってとかもないので、まだ思いつかないですけど、ユニホームを脱いで落ち着いたら、ああいうこともあったなと思うんじゃないですか」
<4>に続く。
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2022-09-08 05:50:00Z
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