Senin, 18 Mei 2020

体を張り、走り続けたラグビー界のレジェンド。大野均、現役引退。 - RUGBY REPUBLIC(ラグビーリパブリック)

国内 2020.05.18

[ 編集部 ]

体を張り、走り続けたラグビー界のレジェンド。大野均、現役引退。
東芝ブレイブルーパスに19年在籍した大野均。写真は2019年1月13日のキヤノン戦(撮影:松本かおり)


 レジェンドが、ラグビー選手としての人生にピリオドを打った。
 大野均、42歳。
 2020年5月18日、19年在籍した東芝ブレイブルーパスが現役引退を発表した。

 ブレイブルーパス公式サイトの選手紹介ページで、座右の銘・好きな言葉という項目にはこう書かれていた。
「灰になってもまだ燃える」
 大野均の熱い闘争心は、チームメイトを鼓舞しただけでなく、観る者を魅了した。

 1978年5月6日、福島県郡山市生まれ。清陵情報高校では野球部に所属していた。3年間、レフトの補欠だったという。日本大学工学部に進学し、そこでも野球をするつもりだったが、ラグビー部の先輩から熱烈な勧誘を受けて18歳からラグビーを始める。東北リーグでひたむきに楕円球を追った青年は、日本代表歴代最多の98キャップを誇るラグビー界のレジェンドになった。

 身長192センチ、体重105キロのロック。とにかく激しいプレーでチームを引っ張った。常に100%。密集戦での痛いプレーもためらわず、果敢なタックルを繰り返し、体を張り続けた。FWのパワーハウスとなり、スクラム、ランアウトでも奮闘。足を止めず、走り続け、倒れたらすぐ立ち上がる。その運動量ゆえ、1試合で体重が7キロ落ちることもあったが、ラグビー界屈指の酒豪は試合後、ビールをまるでガソリンかのように豪快に飲み、エナジー満タンとなって、またフィールドで圧倒的な仕事量を見せた。

 日本代表デビューは2004年5月16日、秩父宮ラグビー場での韓国戦だった。それから13年間、桜のジャージーを着て勇ましくプレーし、2016年6月25日に東京・味の素スタジアムでおこなわれたスコットランド戦が日本代表としての最後のプレーとなった。
 テストマッチ98試合出場で60勝に貢献。ワールドカップは3大会(2007、2011、2015)に出場し、世界を驚かせる歴史的勝利となった2015年9月19日の南アフリカ戦でも背番号5をつけ大男たちを相手に体をぶつけた。

ワールドカップは3大会出場。写真は2007年フランス大会のフィジー戦(Photo: Getty Images)

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2020-05-18 05:16:33Z
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