2008年、最大13ゲーム差をひっくり返された岡田監督は“歴史的V逸”が決まった夜、コーチに辞任する意向を伝えた。6年目となる来季続投も内定していたが…。緊急事態発生。南信男球団社長は「岡田の気持ちを翻意させられないか」と、神戸市内の自宅から複数の関係者に電話をかけまくった。寝耳の水の話だった。
阪神に限らず、どの球団でも監督交代劇の歴史をひもとくと、成績不振による辞任、解任がほとんど。虎の数少ない例外として挙げるなら、2003年にリーグ制覇しながら体調不良を理由に勇退した前任の星野仙一(翌04年から阪神SDに就任)、そして08年の岡田監督だろう。
「(9月上旬に)ゲーム差が開いていても、ちょっとやばいなという気持ちだった。優勝できなかったら辞めようと決めていた」
突然の退任劇だった。2位で並ぶ巨人、中日に最大13ゲーム差。開幕からの好成績もあり、球団は6月に、6年目となる来季の続投方針を固めていた。だが夏場以降、巨人に驚異的な追い上げを受ける。141試合目。その巨人と同率首位で迎えた10月8日の決戦(東京ドーム)で1-3で敗れると、試合のなかった翌9日、巨人が勝利。歴史的V逸となった。
南信男球団社長は8日の試合後、岡田監督と話し合った。翌9日、球団業務のため帰阪し、いったんチームを離れた。
「まだ最後まであきらめるな、とか…。来季の補強とか、いろいろ話をした。オフに落ち着いたらゴルフをやろうと。(V逸したら)辞めるなんて話は聞いていなかった」
その夜、優勝決定の可能性が消滅した。岡田監督は、遠征先の横浜市内のホテルの自室にコーチ陣を集めて「俺は今季限りで監督をやめるから」と伝えた。その情報を伝え聞いた南球団社長は岡田監督の携帯を鳴らした。
「はい、今季限りでやめます」。急転直下の申し入れだった。
「岡田の気持ちを翻意させられないか」
神戸市内の自宅から複数の関係者に電話をかけまくった。冷静沈着といわれたフロントマンが激しく動揺した「緊急事態」。だが岡田監督の決意は固かった。
消化試合となった翌10日の横浜戦(横浜)、球団トップは不在。球場入りすると選手をロッカールームに招集した。岡田監督は退任に至った経緯と「クライマックスシリーズ(CS)までは指揮をとるからな」と報告した。
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2020-05-06 01:00:11Z
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