そのなかから、2010年の和田一浩の場面を紹介する。2年前に西武から中日に移籍し、この年セ・リーグ最優秀選手になった和田。中日もペナントレースを制する。しかし落合中日が終わる“予兆”を番記者だった筆者は感じていた(全2回の2回目/前編から続く)。
2010年の夏は記録的だった。気象庁は統計を開始して以降の113年間で、平均気温が最も高いことを発表した。
何が起こってもおかしくない猛暑のなか、セ・リーグは巨人と阪神、中日が微妙な距離を保ちながら三つ巴のレースを繰り広げていた。
むせ返るような8月のある日、ナゴヤドームのグラウンドでは無得点が続く、じりじりとした試合が繰り広げられていた。私はゲーム中に記者席を立った。
バックネット後方にある記者席を裏にまわると、人がようやくすれ違える程度の通路がある。それを右翼方向へ進んでいくと放送局のブースが並んでおり、さらに行くと、多目的に使用される表示のない部屋がいくつか見えてくる。私はそのうちの、ある一室をノックした。
「あら」
中からドアを開けたのは落合の夫人だった。室内は会議用のテーブルと椅子だけのシンプルな空間だった。
「どうぞ」と言って夫人は自分の椅子へ戻った。視線はガラス窓の向こうに広がるグラウンドへ注がれていた。ブルーのパステルカラーのシャツの上に、落合と同じ66番のユニホームを羽織り、両手に球団カラーのメガホンを持っていた。
ナゴヤドームで試合があるとき、夫人は決まってこの部屋にいた。ここは夫人にとっての戦いの場なのだ。
夫人「最近はね、私も落合も眠れないよ」
「もう、どうなってるの─ 。なんで、こんなに勝ったり負けたりなの?」
夫人は視線を前に向けたまま、眉を八の字にした。おそらく困っていることを表現しているのだが、この人が発すると不思議と嘆き節もカラリと聞こえる。
中日は開幕からずっと3位を這い進んでいた。梅雨明け前にあった首位巨人との8ゲームもの差を徐々に詰めてきてはいたが、夏の甲子園が始まる時期になっても上位の背中をとらえきれず、依然として巨人と阪神を下から見上げている格好だった。
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2021-11-03 08:03:00Z
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