東京オリンピックの男子マラソン。このレースかぎりでの引退の意向を明らかにしている大迫傑選手は6位に入賞。男子マラソンの日本記録を2回更新するなど、華々しい成績を残してきた日本のエースが、脂ののりきった30歳でアスリートとしての幕を下ろしました。
世界と戦うためにアメリカ、ケニアと練習拠点を移していった大迫選手は、去年3月、東京オリンピックの代表を決定的にした際、あることばを残しています。
「目の前にチャンスがあるのに挑戦しないほうがリスク」
思い起こされたのが、10年前、2011年の箱根駅伝です。
当時、早稲田大学のスーパールーキーとして注目を集めた1年生の大迫選手は、1区の序盤から集団を飛び出し、18年ぶりの総合優勝の立て役者となりました。
このときの果敢に挑戦する衝撃的な走りに、ほとんどの選手はリスクを警戒して大迫選手を追おうとしませんでした。
しかし、この快走に刺激を受けて大迫選手に挑もうとする選手たちが現れ、その中にはのちに大迫選手より先にマラソンの日本記録を更新した同学年の設楽悠太選手や、東京オリンピックの代表になった中村匠吾選手がいて、8日にともに走った服部勇馬選手にも影響を与えています。
そして、大迫選手が初マラソンの2017年のボストンマラソンで3位となる快挙を達成すると、せきを切ったように日本選手のタイムが上がっていったのです。
まさにこの10年は、“大迫時代”とも言える日本長距離界の変革期でした。
そして8日のラストラン。
30キロすぎに世界記録保持者のケニアのキプチョゲ選手がスピードを上げ、集団がばらけたあとも、大迫選手はメダル争いをする2位集団を視界に収めながら1人、また1人抜いていく、メダルの可能性を感じさせる粘りの走りを見せ、最後は6位でゴールしました。
レース後、涙も見せた大迫選手は「かっこよく現役生活を終えることができ、最高のゴールだった」と挑戦し続けた競技人生を終えました。
また、自身が手にできなかったメダルについてこう語りました。
「次の世代の人は頑張ればメダル争いに絡めると思う。それは後輩たちの番です」
これからは“ポスト大迫時代”を迎えます。
マラソンではすでに鈴木健吾選手が大迫選手の日本記録を塗り替えているほか、今回のオリンピックでは三浦龍司選手が3000メートル障害で入賞を果たすなど、若手が躍進しています。
大迫選手自身も若手を育成するプロジェクトを立ち上げていて、これまでのみずからの経験を伝えていくということです。
大迫選手が切り開いた世界への挑戦という道をあとから続こうとする選手が次々と現れてくるのではないか。
そんな、新たな時代を予感させるラストランでした。
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2021-08-08 09:07:24Z
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