「3代甲子園出場」の高嶋家に新たな歴史を刻んだ。智弁和歌山。高嶋仁名誉監督(75)の孫、高嶋奨哉内野手(3年)が大会30号となる甲子園初アーチを放った。7番三塁で先発出場すると、2回先頭で左翼スタンドへ運んだ。初戦の2安打に続き、チームの勝利に貢献。高嶋名誉監督、父・茂雄さんは甲子園でそれぞれ1安打。聖地で父や祖父を上回る活躍を見せている。

甲子園の空に緩やかな放物線を描いた。1-0の2回。高嶋奨哉は「初球から直球を振っていく」と2球目の135キロ、甘く入った高めの直球をフルスイングした。完璧に捉えた打球は左翼スタンド中段へ。「すごく気持ちよかったです。いいスイングができた」とガッツポーズを突き上げた。

祖父の教えを一打に込めた。高嶋名誉監督は「『タイミングを合わせて』と昨日言ったんですけど、ピッタンコでしたね。会心の当たりだと思います」とニンマリだ。初戦(24日=高松商戦)の前も、奨哉から「調子が悪い」と連絡を受けた。「センター中心に逆方向に打ったらヒットが出る確率が高い」。そのアドバイス通り、初戦では2本の右安打。この日も自信を胸に積極的にバットを振り「おじいちゃんの言った通りにできたのが一番です」と胸を張った。

高嶋名誉監督は奨哉の活躍に「88点ぐらいかな。100点とか言うとてんぐになるから」とくぎを刺しつつも「ポポンと打ち上げたり、ボール球に手を出した。でも、きっちり打てる球を打っていた。言うことない」と目尻を下げた。甲子園最多68勝の名将が、おじいちゃんの顔になった。

小さいころから甲子園で智弁和歌山を応援してきた。西川(現日本ハム)に憧れ、選手宿舎で一緒に撮った写真は宝物だ。「自分も甲子園に行きたい」と入学し祖父、父の期待を胸に甲子園で躍動する。「今日はホームランを打ったよ、と報告したいです」と力を込める。次の報告は、21年ぶりの全国制覇だ。【保坂淑子】

◆高嶋奨哉(たかしま・しょうや)2003年(平15)12月19日生まれ、和歌山・紀の川市出身。奈良・二上小2年から二上スポーツ少年団で野球を始め、小学4年で和歌山の学校に転校。根来ファイターズに所属し、6年時は阪神タイガースジュニアでもプレーした。岩出二中では粉河シニアに所属し、主に三塁手。好きな選手は広島鈴木誠。173センチ、76キロ。右投げ右打ち。父茂雄さんも智弁和歌山で甲子園出場。