東京五輪第13日・野球 準決勝、日本5-2韓国(4日、横浜スタジアム)正式競技となって初の金メダル獲得を目指す日本は、準決勝で韓国を5-2で下して7日の決勝(午後7時開始)に進出し、銀メダル以上を確定させた。六回に追い付かれたが、2-2の八回2死満塁から山田哲人内野手(29)=ヤクルト=が走者一掃の3点二塁打を放ち、チームを勝利に導いた。決勝で日本は、5日に行われる敗者復活3回戦(韓国-米国、横浜)の勝者と対戦する。
願いを乗せた打球が、横浜スタジアムの左翼フェンス最上部を直撃した。2―2の八回2死満塁。山田は、迷いなく初球をフルスイングした。走者一掃、勝ち越しの3点二塁打。塁上で両拳を突き上げると、仲間たちも全員がベンチを飛び出し、一斉に拳を掲げて呼応した。
「1球目から打つのは、ネクストバッターズサークルにいたときから決めていた。直球を仕留めるぞという気持ちで、芯で捉えることができた。とにかく、めちゃくちゃ緊張していたので、いい結果になってガッツポーズしました」
日本にとって1996年アトランタ大会以来、25年ぶりの決勝進出。日本の新たな歴史を切り開いたヒーローが、口元をほころばせた。
常に、一筋縄ではいかない日韓戦。この日も五回まで2点をリードしながら追い付かれる激闘となった。均衡を破ったのが、2019年の国際大会「プレミア12」の決勝でも、同じく韓国相手に決勝の3ランを放った山田だった。「2年前の話。むしろ油断してはいけない」と気を引き締めて臨み、勝負どころでまた決めた。
チームの勝利だけを目指し〝脇役〟の仕事も全うした。0-0の三回無死一、二塁。3度のトリプルスリー(同一シーズン打率3割、30本塁打、30盗塁)を達成した日本球界ただ一人の打者が送りバントを決め、続く坂本の犠飛につなげた。犠打を記録したのは、プロ野球公式戦では14年が最後。代表でも17年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の準決勝(対米国)で決めて以来だった。
稲葉監督と金メダルを-。その一心が、山田を突き動かす。五輪代表選出後に監督から届いた手紙を写真に撮り、スマートフォンに大事に保存している。
「ともに戦い、ともに目指そう頂点」
そんな文言とともに、力強い筆跡で記されていた「結束」の2文字に心を熱くし、臨む夢舞台。7月31日のメキシコとの1次リーグ第2戦では今大会チーム1号となる3ランを放ってチームを勢いづけ、この日も勝利に大きく貢献した。
背番号1は、指揮官から厚い信頼を得ている。プレミア12では当初、選外。コンディション不良の選手と入れ替わる形でメンバー入りした。本職ではない一塁手を期待されれば「何でもやります」と熱意を示し、大会直前には「金メダル、絶対に取ろうよ」と声を掛けられ「僕も取りたいです」と即答した。
「ここに立てることを幸せに感じますし、感謝の気持ちでいっぱいです」。山田は充実の表情を浮かべた。頂点へ、あと1勝。「金メダルに貢献できるプレーを決勝戦でもしたい」。リードオフマンの視線に、迷いはない。(横山尚杜)
◆その時 両親もTVの前で興奮「自分の息子だとは思えない」
山田の父・知規さん(63)は母・則子さん(60)と自宅で観戦。八回の決勝打に「家内と二人で拍手喝采です。すごいですね。自分の息子だとは思えない」と声を震わせた。
「自宅ではあまり野球の話はしないけど、『五輪には出たい』とずっと言い続けていましたね」と知規さん。代表入りが内定した6月16日には「決まったよ」と連絡があった。同7日に63歳を迎えた知規さんは「それが一番うれしかった」と頰を緩ませ、誕生日プレゼントになったという。
山田は3年前、還暦祝いに自身が使用しているドナイヤ製の特製グラブ=写真=をプレゼント。「とりあえずお疲れ様」と、山田らしい言葉が刺繍(ししゅう)されていた。孝行息子は、五輪でも両親へ最高の贈り物を届けた。
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2021-08-04 20:04:00Z
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