中日、日本ハムでプレーし、日本ハム監督も務めた野球解説者の大島康徳(おおしま・やすのり)さんが6月30日、大腸がんのため死去した。70歳。大分県中津市出身。
大島さんは2018年にスポニチ本紙のインタビューに対し、余命1年と宣告されていたことを告白。「人生はどれだけ生きたかではなく、どう生きたかが大切」と死生観を語り、どこまでも野球と家族への愛を貫く姿が印象的だった。大島さんを偲び、同年5月8日付のインタビュー記事「夢中論」を上下2本に再掲します。
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がんで闘病中のプロ野球解説者、大島康徳氏(67)が自身の人生観を語った初の著書「がんでも人生フルスイング」(双葉社)を上梓(じょうし)した。取材に応じた大島氏は、2016年10月に「余命1年」と宣告されたことを初めて告白。人生の最期を覚悟した中「今仕事に夢中だ」という。「人生はどれだけ生きたかではなく、どう生きたかが大切」。その思いを自宅近くのファミレスで聞いた。
まさかの喫煙席だった。プロ野球歴代19位の2204安打を誇る大打者がインタビュー場所をデニーズに指定したことにも驚いたが、喫煙席を選んだことにはもっと驚いた。
ステージ4のがん患者。余命1年と宣告され、今年3月には体調不良で再入院したばかり。「まさかタバコ吸わないですよね」と確認すると「そのまさかですよ(笑い)。今やめたからって、本当に長生きできるとは限らんでしょ?」。そう言いながら手にしたのはショートホープ。
確かに、顔色や肌の張りは病を思わせぬほど健康的。入院時の写真とは別人だ。「やりたいことを我慢して生きるのは、しんどい。何をやるかは自分で決めたいよね」。同席した妻の奈保美さんは「その考え方についていく家族は大変ですよ」と苦笑いしつつも、夫婦の表情は明るい。
がんと分かってから、今まで以上に「やりたいこと」に貪欲になった。中でも自分らしさを最も実感できるのが「仕事」だ。プロ野球評論家。球場の放送ブースで解説し、記者席でスコアブックを付ける。「野球は仕事であり、人生そのもの。球場に行けばアドレナリンが出る。仕事をすることが最高の治療ですよ」
テレビ解説の仕事復帰は、手術半年後の17年4月4日。ZOZOマリンでのロッテVS日本ハムだった。両チームの監督、選手、スタッフ、放送関係者、記者、プロ野球OBが温かく迎えてくれた。「自分が生きていく場所はやっぱりここだ」と改めて確信した。
がんと分かったのは16年10月。最初はダイエットがうまくいっていると思っていた。疑問に感じた奈保美さんに促され、受けた検査の結果はステージ4の大腸がん。肝臓にも転移していた。「でもショックはあまりなかった。なるようにしかならないから考えても仕方ないかと」
翌11月の大腸がん手術は成功した。だが、肝臓のがんは今もそのまま。抗がん剤治療で経過観察を続けている。「多くの人が早期に手術して根治を目指すでしょ。そうなればめでたいけど、体に大きなダメージを与えてしまったら元も子もない。だったら一緒に付き合ってしまえばいい。悪ささえしなければ、ここ(肝臓)にいてもいいよって」。今まで通りの生活をしながらの闘病を選んだ。
◇大島 康徳(おおしま・やすのり)1950年(昭25)10月16日生まれ、大分県中津市出身。中学まではバレーボールをやっていたが、中津工で野球を始めて68年ドラフト3位で中日入団。直後に投手から打者に転向。83年に本塁打王を獲得するなど主軸として活躍。87年日本ハム移籍を経て94年に引退。通算2204安打、382本塁打。00~02年日本ハム監督、06年第1回WBC日本代表打撃コーチ。
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2021-07-05 09:22:00Z
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