Selasa, 27 Juli 2021

いぬ年生まれで1回り下の女房役・我妻悠香捕手が明かす上野由岐子の“すごみ” - スポーツ報知

◆東京五輪 ソフトボール決勝 日本―米国(27日・横浜スタジアム)

 “上野の413球”から13年―。決勝が行われ、日本が宿敵・米国を2―0で破って2008年北京五輪以来、13年ぶり2度目の金メダルに輝いた。

 今大会決勝などエース上野由岐子が登板した4戦で球を受けたのは同じいぬ年生まれで、一回り下の我妻悠香捕手(ともにビックカメラ高崎)。最後のファウルフライをガッチリつかむとエースと抱き合って喜んだ。14年からコンビを組む女房役が上野のすごみを語った。

 13年に我妻が埼玉・星野高を卒業後、上野がいる実業団・ルネサス高崎(現・ビックカメラ高崎)に入団し、初めてエースの球を受けた。直球は上野が構えたところに投げてくれたから取れたものの、変化球はミットにかすりもせず衝撃が走った。

 「そういう動きをする球を見たことなかったんです。特にライズボールは回転で上にホップする。あ~、これが変化球って言うんだなと思いました」

 その後は上野にまず1球投げてもらって我妻は球の軌道を学び、頭で球の動きをイメージしてから球を受ける練習を繰り返した。14年からバッテリーを組むようになった。

 「もう少し早くミットを(球が動く方に)出しちゃっていいことが分かった。早めに準備をすることでスピード感についていけるようになりました」

 今度は上野の多彩な持ち球を生かす配球を学ばないといけない。上野はいくら打たれても、決して我妻の出したサインに首を振らなかった。コンビを組んで約5年。19年全日本総合決勝でトヨタ自動車に0―1でサヨナラ負けを喫したが、我妻は初めて手応えを感じた。

 「この試合は上野さんの状態は良かったけど最後に打たれて負けて。その時に上野さんが甘い球を投げたからではない。打たれて上野さんのすごさに気づいた。私が工夫すれば抑えられるし、勝てると考え方が変わった」

 上野の投球の進化に負けじと、我妻も配球を必死になって研究した。

 「配球(の研究)は自分が出た試合のビデオだけでなくいろいろな捕手の配球も勉強した。夕食を終えて2~3時間ぶっ通しで見て眠くなったら仮眠を取る。打たれた日はモヤモヤするので夜中まで見てしまいますね」

 19年に日本リーグ決勝トーナメント決勝で連投の上野がホンダを7回12奪三振無失点に抑え、1―0で下し優勝。この時初めて上野に認められた。

 「直接言われたわけじゃないけど『今日の我妻の配球良かった』とトレーナーに言ってくれたみたいで」とうれしそうに明かす。上野に食らいつき、成長した我妻の存在が上エースの投球を支えた。

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2021-07-28 00:53:00Z
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