Rabu, 03 Juli 2024

【阪神】岡田監督の心にいつも阪神愛「もう1回、監督を」ユニホーム脱いでも消えなかった思い - プロ野球 - ニッカンスポーツ

阪神岡田彰布監督(66)が、虎の指揮官として歴代1位の藤本定義に並ぶ通算514勝をマークした。目にかけてきた佐藤輝明内野手(25)が、今季初の1試合2発のお目覚めで広島に快勝。阪神で500勝以上挙げた監督の勝率5割6分6厘は歴代1位で、2度のリーグV&日本一はただ1人と猛虎史上、最強監督の称号を得た。首位広島を連倒して2ゲーム差に接近。きょう4日、一気の3連勝で藤本超えに臨む。

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阪神歴代監督の最多勝利にも、岡田監督はいつも通りだった。通算514勝。藤本定義監督に並んだが、反応は素っ気なかった。

「(記録は)そんなん関係ないないやん、関係ないってもう(笑い)」

1962年(昭37)、2リーグ分立後の阪神初優勝は藤本監督が導いた。岡田少年は4歳。父の勇郎さんが阪神の後援者だった関係で、御堂筋での優勝パレードに藤本監督に抱かれて参加した縁がある。そして62年後、阪神を2度のリーグVに導いた名将に肩を並べた。「誰も覚えてないやろ。(記念球は)いらんよ」。500勝以上挙げた阪神監督は藤本と2人だけだが、勝率5割6分6厘は藤本より上。2度のリーグV&日本一も唯一で、猛虎史上、最強監督の称号を得た。

04年4月2日巨人戦で挙げた1勝から、514個の白星を「岡田野球」で積み上げた。野球は守備から、常に次の塁を狙う姿勢…。基本を大切にしながら、時代を先取りする思考で球界に変革をもたらしてきた。

05年はウィリアムス、藤川、久保田による勝利の方程式「JFK」を形成。画期的な救援陣の分業制で1度目のリーグ優勝に導いた。2度目の監督に就任した昨年は四球の査定ポイントアップを球団に提言。12球団最多494の四球を選び、05年以来のリーグVと日本一の原動力になった。

年月とともに選手との接し方も変わった。負けられない試合の直前。先発投手に声をかけることもある。「今日大丈夫か? 頼むぞ」。白星がつかなければ「惜しかったな。また次やな」とフォローを入れることもある。起用に関する答えが出ていても、コーチや選手の意見を聞くこともある。16年前の第1次政権時とは異なる接し方だ。

ずっと変わらないこともある。「もう1回、阪神の監督をやるぞ」。1度ユニホームを脱いでから、周囲にそう漏らしていた。心の中で燃える思いは隠せなかった。試合中に身につける腕時計は黄色と白色に虎が描かれたデザインの2本。飲みに行く回数は減り「休みの日のゴルフは年齢的にしんどいわ」と笑うが、阪神一筋の愛は変わらない。

愛のムチで2軍に落とすなど、目にかけてきた佐藤輝がソロ2発でメモリアル勝利を運んでくれた。「久しぶりやろ。その2点やからな。フォアボールも選んどったし、2打席目も」と岡田節でたたえた。首位広島に連勝し、2位に浮上。ゲーム差も2に縮めた。3連勝で藤本監督超えの515勝を挙げ、まずは1ゲーム差に詰める。【磯綾乃】

<阪神岡田監督の記録>

◆勝率 阪神で通算500勝以上した監督は藤本定義と岡田彰布のみ。勝率は藤本の5割4分8厘に対して、岡田は5割6分6厘で上回っている。

◆優勝回数 05年と23年の2回優勝に導いている。37年秋、38年春の石本秀一、44、47年の若林忠志、62、64年の藤本定義と並んで球団最多。

◆日本一経験 リーグ優勝した23年にオリックスとの関西シリーズを制して日本一。球団では吉田義男が率いて初の日本一となった85年以来、38年ぶり2度目の美酒に導いた。2度のリーグ優勝と日本一は球団唯一。

◆Aクラス入り 阪神監督として今季が通算7シーズン目。過去6シーズン中5度Aクラス入りし、04年の4位が最低成績。2リーグ制後、球団でAクラス5度は、7度(シーズン途中から指揮を執った66年含む)3位以上に導いた藤本定義に次いで2番目の多さ。

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2024-07-03 20:01:00Z
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