松山英樹(29=LEXUS)が、日本男子ゴルフ界の悲願を達成した。日本人がマスターズに初挑戦した1936年(昭11)から85年、同じくメジャー4大会に日本人が初挑戦した1932年(昭7)の全米オープンから89年で、ついにメジャー優勝を勝ち取った。2位に4打差をつけて首位で出た松山は、4バーディー、5ボギーの73で回り、通算10アンダー、278。今大会出場10度目で初優勝を飾った。

     ◇     ◇     ◇

感動的だった。我々の時代になし得なかったことをやってくれた。「いつかやってくれるだろう」とは思っていた。米ツアーで5勝した後、しばらく低迷し、もがいていた頃にそう思い始めた。この苦しみを乗り越えた時に…と。

1つのきっかけは目沢コーチかもしれない。松山君は従来、何でも自分の中で解決しようと背負い込むタイプだった。それが同世代のコーチと相談、雑談でもいい、話し合えることで、モヤモヤしたものが解消していけたのだろう。精神的に充実し、ミスの後の切り替えがうまかった。象徴的なのは第3日の11番で林に入れたピンチで雷中断、その後の猛チャージで「貯金」をつくった。

自分がメジャーに出場した頃、言葉や習慣、環境の違いは厳しかった。日本に戻った時に気分転換するしかなかった。当時、コーチやキャディーを帯同している選手はほとんどいない。慣れない海外生活に苦しんでも、勝つために来たんだから、苦労した分喜びも大きいと信じて戦っていた。80年全米オープンでニクラウスに負けて2位。悔しかった。メジャーでなくとも負けたら悔しかった。自分の方が下手なんだと…。

松山君もその積み重ねだったと思う。

日本選手はこれまでマスターズを含め、メジャー大会で優勝できなかった。何が足りなかったのか? それはわからない。わからなかったから、勝てなかったんだろう。自分は米ツアーで戦うにはコミュニケーションが必要と、“壁”を克服したつもりだったけど、結果(メジャー制覇)にはつながらなかった。

松山君は17年全米オープンで、自分の80年全米オープンと同じ2位になった。その後会った時に「僕は2位タイだったけど、青木さんは単独2位。負けました」と、ちゃめっ気たっぷりで言ってきた。記録やデータは意識しているように見えた。これが彼の「1つでも上を目指したい」という向上心なのだろう。

今回勝ったことで、精神的にもさらに楽になり、どんどん勝てるようになると期待したい。

日本に戻ってきた時にはぜひ日本ツアーに出場して、その雄姿をファンに見せてほしい。(日本ゴルフツアー機構会長)