◇メジャー第3戦◇マスターズ 最終日(11日)◇オーガスタナショナルGC(ジョージア州)◇7475yd(パー72)
水しぶきが上がる噴水の脇を、息を切らして走る。フロリダの陽射しは2月だというのに強く、厳しい。ウォーミングアップでかいた汗をぬぐうでもなく、松山英樹はぽつりとつぶやいた。「メジャーも獲れないまま、あっという間に30歳になっちゃうのかなあ…」。今から約3年前、左手の故障でツアーを一時離脱していた時期のことだった。
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10度目の出場となった「マスターズ」。29歳にして33回目の挑戦だったメジャーで、苦心の末にたどり着いたチャンピオンの座。優勝インタビューで「僕が勝ったことでこれから先、日本人が変わっていくんじゃないかと思う」と松山が強いメッセージを発したのは、キャリアにおいていつも周囲の意識とのギャップを感じていたからだった。
1932年に宮本留吉が「全英オープン」に挑戦して以来、日本の男子でメジャータイトルを手にしたのはシニアでの井戸木鴻樹だけ(2013年全米プロシニア)。レギュラークラスでAON(青木功、尾崎将司、中嶋常幸)が、伊澤利光が、丸山茂樹がはね返されるたびに壁は年々高くなり、多くの人にとってメジャー制覇はいつしか「夢」として現実味を欠くものになっていった。
だが、松山を中心とする小さな円の中にいる人たちは譲らなかったし、松山は言った。「かなえたいと思うものは目標。メジャー優勝は夢ではなく目標です」。メジャーのタイトルを淡く描かれた夢として捉えず、輪郭をはっきりとさせた目標にして、たどり着くまでの距離を正確に把握しようしてきた。もう、何年も前から。
“ボールルーム”で
PGAツアー本格参戦2年目の2015年12月。松山はバハマでの招待試合を終えると、短いクリスマス休暇を前にチャーター機でフロリダ・オーランドの自宅に戻った。その夜、サポートスタッフたちと一年の労をねぎらい合った。
邸宅の一画にある、トロフィーやメダル、思い出の品々が並ぶ“ボールルーム”はオーガスタをイメージしたかのような緑と白の空間。皆の酒が進んだころ、松山は棚からおもむろに淡い水色の包みを降ろした。箱の中に入っていたのは、ティファニーなどの高級クリスタルグラス。「マスターズ」から贈られる、各日のベストスコアやイーグルを記録した選手への記念品だった。
その年のマスターズで5位に入った松山のもとには、グラスが4つ届いていた。紙包みをいいかげんに広げ、驚く周りを「これにはそんなに価値はないよ」と制して続けた。「おれはまだ、(優勝するために)あと4つも順位を上げなきゃいけないんだ」。当時23歳。グラスに注いだワインを飲み干して言った。「味は…変わんないな」
にじんだプライド
2017年に「全米オープン」で2位に入り、「全米プロ」のサンデーバックナインで逆転負けし5位に終わった。海外からも数年来「日本人歴代最高のゴルファー」と評価されても、惜敗をたたえられると、自分の思いが半信半疑に受け止められているようで泣きたくなった。「『よく頑張った』と言われるのは、キツイときもある。僕はもっと上を目指している。そのレベルまでしか行けないと思われているのかなあって」
グリーンジャケットは、誰に何を思われても、自分と仲間の可能性を信じて疑わなかったからこそ袖を通せた。「日本人でもできることが分かったと思う。僕もまだまだ頑張るのでメジャーを目指して頑張ってもらいたい」。子どもたちへのメッセージに、奥底にしまい込んできたプライドがにじんだ。(編集部・桂川洋一)
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2021-04-13 11:11:21Z
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